バンコク コンドミニアム リノベーション奮闘記 (その1)

実はバンコクで築20年程になるコンドミニアムを個人的に所有しています。1997年の通貨危機の翌年に新築で購入したもので、場所はスクムビットソイ10、コンド名はSukhumvit Park Condo。アソーク~ナナ間の立地なので、日本人には極めて知名度の低い物件です。
※Sukhumvit Park Condo
Sukhumvit Park Condo
さかのぼる事18年前の1998年、僕は某会社で勤務していたころ、現地英字新聞バンコクポストで“新築コンドミニアム40%ディスカウント”の広告を見つけ、「本当かな?」の疑念を抱きながら見に行ったところ、広告に偽り無しで「もってけ!泥棒。」的なビッグディスカウントでユニット販売を行っていました。
古い話になりますが、1997年7月にタイは従来の固定相場制(1US$=25バーツ)から変動相場制に移行。ジョージソロス率いるヘッジファンドがタイバーツを売り浴びせ、外貨準備で買い支えられなくなった政府が、否応なく変動相場制に舵を切らざるを得なかった、と今でも信じている人がいますが、真相は果たしてどうだったのでしょうか?そこら辺のお話は経済専門家に任せることにします。当ブログとは関係ないテーマですので…。
変動相場に切り替わると同時にバーツは大暴落。一時は1US$=48バーツぐらいまで落ちたと記憶しています。
そして、その嵐はタイからマレーシア、インドネシア、フィリピンそして韓国にまで波及。マレーシアは当時のマハティール首相の剛腕で固定レート制を実施、インドネシアルピアは1US$=2,500ルピアから1US$=18,000ルピアまで落下の大暴落。結果、タイ、インドネシア、フィリピン、韓国はディフォルト状態となりIMF(国際通貨基金)が救済の手を差し伸べました。
暴落前のタイバーツの利率は非常に高く、定期預金に入れれば10%以上の利息が付きました。低金利時代が長く続く昨今にわかには信じられないのではないでしょうか?そしてそのような金融環境の中、現地タイの実業家はより低金利の外貨を借り入れて事業を行うのが一般的でした。
想像するに難くなく、タイバーツ暴落はそういった実業家たちにまさに悪夢となって襲いかかりました。固定相場制なので、と楽観していたのが、バーツベースでの負債額が一気に跳ね上がり、実に多くの現地企業が倒産。バンコクCBDでの不動産開発に急ブレーキがかかりました。そして最後の聖地であるはずの金融機関に軒並み海外資本が注入されました。タイの経済状況はまさに焼け野原といった様相を呈したのでした。
今ではアソークにそびえるエクスチェンジタワー、サトーン通りとラマ4世角のランドマークQハウス‥等、今の著名ビルがその頃は塩漬け、雨ざらしとなっていた時期が長く続いた事を知る日本人は少ないでしょう。
そしてその当時進行中だったコンドミニアム開発プロジェクトもバタバタ倒産し、多くの購入者にお金が戻らず大きな問題となりました。
竣工に漕ぎつけたプロジェクトでも多くの売れ残りユニットを抱えていました。
そうです。長く話が脱線してしまいましたが、何故「もってけ。泥棒セール!」がその当時行われた背景は上記のようなものだったのです。そして、Sukhumvit Park Condoは、投げ売られていたコンドの一つなのでした。
その安さに釣られ、満足に内覧もせずに2ベッドルームを2ユニット購入しました。未だBTSもできていない時代でした。近隣にSheraton Grande他の高級ホテルがあったので、「きっといい場所なんでしょ。」と勝手に思いこんだものでした。まあ、その思い込みが後になって裏切られることは無く、BTS、MRTの駅ができ、近年はターミナル21等も完成、アソークはビッグシティに変貌を遂げました。
そしてやっと今回のテーマとなる、“リノベーション”に話を移す事にします。
築20年となり、やはり古臭さが目立ちます。3万2~5千バーツ程の家賃で貸し出していたのですが、昨年は2万9千バーツでしか貸せませんでした。
所在階は27階、2ベッド1バス、南東角部屋、67㎡といった内容です。買った値段が今では信じられないような安値なので、それでも十分高利回りなのですが、テナントの退去を機に全改装する事にしました。
僕自身、過去パタヤのコンド、他のスクムビットのコンドを改装した経験があります。どちらもタイのお国事情の洗礼を真っ向から受ける形で、実に厳しい忍耐を強いられる戦いとなりました。できたら避けて通りたかったのですが、今回は過去の嫌な記憶が既に薄れたこともあり、決断に踏み切りました。
リノベーション奮闘記の始まりです。
果たしてどうなるやら。実況レポートは次回から始まります。お楽しみに!

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